2018年12月01日
セカンドライフのコミュニケーション
先日も書いた通り、私もセカンドライフでのやりとりに、「リアルより自然にコミュニケーションがとれる」と感じています。子供のころ、厳格で口答えなど許さない父(といっても筋の通らない怒り方をするわけではないのですが)と中学卒業まで続いたいじめのせいで、私は自分の考えを口に出すことに対してすっかり臆病になっていました。
いじめのなくなった後もその臆病さは私に付きまとい続けました。どれほど正しい意見でも私が口に出す限り誰にも受け入れてもらえない、たとえ受け入れられたように見えてもそれは社交辞令かもしれないから調子に乗って自分の意見を主張したりしてはいけない、というような感覚を心の奥底で抱き続けていました。その臆病さが態度に出て、話すときは伏し目に、小声に、おどおどした様子になってしまう。そのためさらにほかの人に受け入れてもらいにくくなる、という悪循環の中で過ごしていました。今で言うところの典型的「陰キャ」でした。
けれど、セカンドライフやMMORPGなどのアバターチャット、テキストチャットには、伏し目も小声もおどおどもありません。発言する前に入力を読み返し、じっくり考え、時には書き直してから発言することもできるため、失敗もリアルよりずっと少なくなります。何より、コミュニケーションの相手はリアルの私を知らない人がほとんどでしたから、「あの人は陰キャだから」というような偏見で私を見る人は誰もいません。生まれて初めて「自分の意見が相手に受け入れられ、肯定される」体験をしたといっても過言ではありませんでした。
最初にそういうテキストコミュニケーションの恩恵を受けたのは、パソコン通信時代でした。そこから10年ほどかけて次第に自分に対する自信と他者に対する(話を聞いてくれるという)信頼を取り戻しては来ましたが、それでも(口話よりはゆっくりしているとはいえ)リアルタイムで会話が進行していくテキストチャットにおいては多少の緊張が残っていました。
そんな緊張を吹き飛ばすとどめとなったのが、メガネ教室の講師体験でした。
セカンドライフでのものづくりのやり方を教わった恩返しにお手伝いができればと、そのものづくり教室の講師募集に参加して(経緯はこちら)、半年ほど先輩講師の助手の立場で経験を積んだ後、主担当講師として一人で教壇に立つことになりました。リアルタイムチャットを数十人の生徒さん相手に展開し、質問を受け付け、必要なカリキュラムをしっかり伝えなければならない。ネットコミュニケーションの全部乗せ総決算みたいな体験でしたが、無事にこなすことができました。それは自分が経験を積んだから……ではありません。
今だから明かしますが、一人で教壇に立っているような体裁でその実、裏では講師仲間専用のグループチャットのウィンドウが開いていました。教える内容を緊張で度忘れしても、裏チャットで聞けば他の仲間がこっそり教えてくれました。生徒さんの質問を見落としかけても仲間がアラートを上げてくれました。常に裏で仲間が支えていてくれるという安心感に支えられ、私は教壇に立ち続けることができました。
校長であり私たちに「教え方」を教えてくれたキリン先生が、講師たちにかけてくれた言葉を、私は今も忘れません。
「私たちはチームです。一人ができないことがあったってかまわない。できる人が補えばいいんです。チームとして十全な力が発揮できるなら何の問題もありません」
先日のテレビ放送を機にまた、新しくセカンドライフの世界に足を踏み入れる方が出てきました。そうした人の助けになりたいと思っている既存ユーザーは少なくないはずです。自分たちが愛するこの世界を、新しく来た人たちにも好きになってほしいから。障害のあるもないも関係なく、同じ世界の仲間になってほしいから。障害の有無による敷居は、リアル世界よりもきっとずっと低いはずです。
セカンドライフへようこそ。
いじめのなくなった後もその臆病さは私に付きまとい続けました。どれほど正しい意見でも私が口に出す限り誰にも受け入れてもらえない、たとえ受け入れられたように見えてもそれは社交辞令かもしれないから調子に乗って自分の意見を主張したりしてはいけない、というような感覚を心の奥底で抱き続けていました。その臆病さが態度に出て、話すときは伏し目に、小声に、おどおどした様子になってしまう。そのためさらにほかの人に受け入れてもらいにくくなる、という悪循環の中で過ごしていました。今で言うところの典型的「陰キャ」でした。
けれど、セカンドライフやMMORPGなどのアバターチャット、テキストチャットには、伏し目も小声もおどおどもありません。発言する前に入力を読み返し、じっくり考え、時には書き直してから発言することもできるため、失敗もリアルよりずっと少なくなります。何より、コミュニケーションの相手はリアルの私を知らない人がほとんどでしたから、「あの人は陰キャだから」というような偏見で私を見る人は誰もいません。生まれて初めて「自分の意見が相手に受け入れられ、肯定される」体験をしたといっても過言ではありませんでした。
最初にそういうテキストコミュニケーションの恩恵を受けたのは、パソコン通信時代でした。そこから10年ほどかけて次第に自分に対する自信と他者に対する(話を聞いてくれるという)信頼を取り戻しては来ましたが、それでも(口話よりはゆっくりしているとはいえ)リアルタイムで会話が進行していくテキストチャットにおいては多少の緊張が残っていました。
そんな緊張を吹き飛ばすとどめとなったのが、メガネ教室の講師体験でした。
セカンドライフでのものづくりのやり方を教わった恩返しにお手伝いができればと、そのものづくり教室の講師募集に参加して(経緯はこちら)、半年ほど先輩講師の助手の立場で経験を積んだ後、主担当講師として一人で教壇に立つことになりました。リアルタイムチャットを数十人の生徒さん相手に展開し、質問を受け付け、必要なカリキュラムをしっかり伝えなければならない。ネットコミュニケーションの全部乗せ総決算みたいな体験でしたが、無事にこなすことができました。それは自分が経験を積んだから……ではありません。
今だから明かしますが、一人で教壇に立っているような体裁でその実、裏では講師仲間専用のグループチャットのウィンドウが開いていました。教える内容を緊張で度忘れしても、裏チャットで聞けば他の仲間がこっそり教えてくれました。生徒さんの質問を見落としかけても仲間がアラートを上げてくれました。常に裏で仲間が支えていてくれるという安心感に支えられ、私は教壇に立ち続けることができました。
校長であり私たちに「教え方」を教えてくれたキリン先生が、講師たちにかけてくれた言葉を、私は今も忘れません。
「私たちはチームです。一人ができないことがあったってかまわない。できる人が補えばいいんです。チームとして十全な力が発揮できるなら何の問題もありません」
先日のテレビ放送を機にまた、新しくセカンドライフの世界に足を踏み入れる方が出てきました。そうした人の助けになりたいと思っている既存ユーザーは少なくないはずです。自分たちが愛するこの世界を、新しく来た人たちにも好きになってほしいから。障害のあるもないも関係なく、同じ世界の仲間になってほしいから。障害の有無による敷居は、リアル世界よりもきっとずっと低いはずです。
セカンドライフへようこそ。
Posted by Haruka at 17:50│Comments(0)